Hunya’s blog

社不系女子高生です

軽い自己紹介

どもども社不系女子高生ふにゃさんです。

そういやなんも自分について説明してないなってことで自己紹介でも書いときます。

 

 

1.スペック

名前:ふにゃ

意味:特になし

都内在住の女子高生です(2021年12月時点)

適応障害と診断、双極性障害の疑い

Twitterhttps://mobile.twitter.com/Hunya_waha

こちらのTwitterで日常やらブログ更新やら呟いています良かったら

 

 

 

2.ブログを始めたきっかけ

少しでもこの人生を知ってもらいたくて、また他に同じようなことで困ってる人がいたら共感してもらいたくて書き始めました。まだ未来に希望なんて持てないけど今はブログの更新を未来の目標にして頑張りたいと思います。

 

 

 

3.趣味

私はくっそ多趣味人間でございまして

野球観戦(中日ドラゴンズ)、ゲーム、絵画鑑賞、競馬を見ることなどなどございます。多分まだあります。趣味と思ってない趣味なんかもあります。なんなら脱落してった趣味なんかもあります。趣味の話もいつかしたいね

 

 

自己紹介って何を書けばいいのか分からなかったのですがとりあえずまとめて見ました。短いですがこの辺でさようなら。今後ともよろしくお願い致します。

 

金パブで中毒起こして死ぬとこでした

どもども社不系女子高生のふにゃさんです。

先日勢いで金パブ60錠飲みまして無事肝臓が死ぬかと思いきや何とか生き延びた次第でございます。アセトアミノフェンが5g以上で何かしら肝臓に悪影響、10gで確実に肝臓障害が出るよとのネット情報を得た上で9.5gパパーッとマックで飲みましてだるいとかはあったのですが採血した結果特に肝臓に影響が出ていないらしく何とか生き延びてしまったわけです。今回は別に死のうとした訳ではなくただBADに入って勢いでマツキヨに行って金パブ買って飲んじゃった感じです。どんだけ悪影響が出ると分かっていても飲んでしまうのです、ブロンなり金パブなり。ブロンは前に1瓶いったのに効かなかったとこから飲まなくなりました。私の相棒は金パブだよ愛してる。流石に医者から3人がかりで止められて知らん山奥の病院まで連れてかれて何とか入院は回避して現在に至ります。そこまでしてなんで金パブ飲むの?って思う人もいるでしょう。正直自分でもなんで飲みたいのか分かりません。しかしあの多幸感に1度触れると戻ってこれないのです。麻薬と一緒だねしたことないけど。それで死ねたらハッピーラッキー!程度なのです。愛してます。薬で死ぬのはかなり大変らしいです。前にカフェインした時に救急隊員に言われました。それでも可能性の1mmでもあるならばそこにすがってやっちゃいます。もしかして死ぬのが怖いのかもね。わかんないや。それでは今回はこの辺で👋

メンヘラあるあるを1つ言いたい

どもども社不系女子高生のふにゃさんです。メリークリスマス!!!皆様いかがお過ごしでしょうか。私の今年のクリスマスは寂しいことにUberEATSの配達員として終えました。幸いにも友達みんなバイトだったし私の地元はそんなにクリスマスって感じでは無かったのが救われました。それでもクリスマスウーバーがあまりにも寂しすぎたのでこのブログを書いております。恋とかしてえよ。

話は変わるのですが表題のメンヘラあるあるを1つ語りたいと思います。それは好きでもない男に振り回されて病むという話です。私は推しと呼んでる同級生がいます。洗脳済みですので世界一可愛くてかっこいいやつです。恋愛感情があるかと問われれば正直分かりません。ただ推しに彼女できたら死にます。推しも別に振り回してる訳では無いんですよね。勝手にメンヘラが回ってるだけなんです。悲しいよね。それ以外の男にも度々振り回されてます。そもそもどうしてメンヘラになっちゃったんでしょうね。私の場合は中学時代に好きだった子にくっそ嫌われてからメンヘラと化しました。当初はメンヘラとか言うなメンヘラにしたのはお前だからな!メンヘラじゃないもん!って感じだったのですが最近はやっぱ私メンヘラじゃん萎えるわ…と思考がネガってます。強く生きよう。生きようと言いつつ死にたい気持ちが今すっごく強いです。なんでだろうねー幸せではあるんですよ。幸せを強く感じれば感じるほど死にたくなるんです。悲しいね。

 

オチとかないです。ただ聞いてもらいたかっただけです。メンヘラのみんな!強く生きよう!

それではさようなら。

精神病棟に入院したら辛すぎた件について2

どもども社不系女子高生のふにゃさんです。

今回は前回の続きとなります。見てない人はぜひ見てほしいです。見てなくても大丈夫だけどね。今回は特定の日などなく入院中思ったことや精神病棟の実態を書いていきたいとおもいます。

 

 

1.暇との戦い

外科に入院しようが内科に入院しようが暇なものは暇だと思います。しかし精神科はレベルが違います。なんせ持ち込み禁止のものが多すぎるからです。スマホが持ち込めないのはまじで地獄でした。スマホ依存症気味の私は最初の3日でダメでした。現代人がどれだけスマホに助けられてるかを思い知らされたので今自由にスマホが使える環境にめちゃくちゃ感謝してるし今これをスマホで見ているあなたもスマホにありがとうを伝えてあげましょう。

 

 

 

2.他の患者さんについてその2

私は他の患者さんとはあまり関わりがなく喋ることなどありませんでしたが喋っている人もいました。仲良くお喋り…と言いつつ内容が眠れなかったとかもう辛いとかだったので聞かないようにしてました。中には認知症の患者さんもいらっしゃって1人でずーっと喋っている人もいました。たまに一緒にテレビを見たりしていましたがあまり仲良くはなれませんでした。

 

 

 

3. 1日の流れ

朝は6:00起床、夜は9:00就寝と今までで1番健康的な生活を送ってました。ご飯もそれぞれ7:30、11:30、5:30と早い時間。意外とこの生活には1週間しないうちに慣れました。ただ私は起立性低血圧なので朝起きるのがめちゃくちゃ辛かったです。その他8:00くらいに検温と血圧測定をしていました。生活としては割と普通だったと思います。精神科だからとかそんな理由で変わったことはしてませんでした。

 

 

4.毎日はしてなかったこと

シャワーは週3回浴びてました。そのせいでシャワーに入ってない時に人前に出ることに抵抗がなくなってしまいました。主治医や看護師さんが付き添いすれば病院の敷地内を散歩出来たりしました。その散歩が無かったらどん底だったんじゃないかというくらい気分転換になり救われました。主治医にコーラとか奢ってもらったりしました。あの時のコーラがいままでで1番美味しかったです。

 

 

今回は精神病棟というか普通に病院内の生活って感じの内容になってしまいました。さらに短くなってしまいました申し訳ございません。次回でラストになると思います。それではこの辺でさよならです。

精神病棟に入院したら辛すぎた件について 1

どもども社不系女子高生のふにゃさんです。

 

私は今年の11月から12月にかけて3週間精神病棟という名の閉鎖病棟に入院しておりました。当初は自分から希望して入院したのですがあまりにも早く退院欲が出てしまい1ヶ月入院の所を3週間で出てきました。当時書いていた日記を元に何回かに分けて精神病棟について書いていけたらなと思います。

 

 

1.初めは入院したかった

そもそもなんで入院したかというと2回目の自殺未遂(そちらもブログにしてます良かったら見てね)を経て親と一線を置きたくなった私は家にいるのが辛い、入院したいという考えに至りました。精神科の先生に入院したいですと伝えると「スマホ使えないけど大丈夫?」と言われました。その時はとにかく入院したかったのではいと勢いで言いましたが後の私はこの時の私を殺してやろうかって思ったくらいには入院辛かったです。

 

 

2.入院当日

前日、友人にしばらく連絡とれなくなるかもだけどよろーと伝え当日を迎えました。まだこの時は50:50くらいの割合でスマホ持ち込めるんじゃないのかとか思ってました。そう思ったのもつかの間看護師さんとのめちゃくちゃ厳しい持ち物検査が始まりピアス、スマホはもちろん没収、靴紐のついた靴や紐のついたズボン、ビニール袋などとにかく頑張れば死ねちゃいそうな物は全部没収されました。暇つぶしで持ち込んだ本にも審議が入りました。(まあ持ち込んだ本が堕落論蟹工船だったからそりゃそうやなという思い)

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↑当時の持ち込み禁止リスト

 

 

3.遂に入院

持ち物検査も無事に終わり身体測定やレントゲンなど撮った後ついに入院部屋に入りました。当初大部屋と伝えられていましたがなんと個室でした。窓の外を見ると網が張ってありました。なるほど脱走出来ないように網が張ってあるのか、そもそも病棟が3階にあるのもギリ脱走出来ないし飛び降りも出来なさそうなギリギリのところにしてあるのかと冷静に考察したりしてました。入院初日は躁状態だったのかすっごい元気でした。

 

 

 

4.初めての病院食

初めてのと言いつつ未遂やら検査入院やらで入院自体は4回目でした。病院食というとまずいイメージがすごく憂鬱だったのですが幸い私の入院した病院の食事はめちゃくちゃ美味しかったです。初日から上海焼きそばが出ました。イメージ的に9割魚だったのでガッツポーズしてました。美味しかったです。

 

 

 

5.他の患者さん

私の病院は食事の際デイルームと呼ばれる大きい公共の部屋で食事をしていました。そのため他の患者さんと接する機会が多かったです。当初私は私と同年代くらいのぴえんなやつとかが多いのかなぁなんて思いながら入院しました。実際は9割がおばあちゃんでした。驚き。私がおそらくあの中で1番若かったと思います。もちろん若い人もいましたが9割おばあちゃんでした。

 

 

今回はここまでにしたいと思います。次回からちゃんと入院生活について書きたいと思います。それではさようなら。

精神科通院歴3年目にして病名がつきました(適応障害、双極性障害の疑い)

どもども社不系女子高生ふにゃさんです。

私は中3から高3にかけて精神科通院3年目となりました。(高1の時には通っていませんでした)

3年目にもかかわらず病名が一切診断されず気持ちがうつ状態にあるとしかしんだんされていませんでした。精神科の先生的には私のことを病気と診断しないでおこうという優しさだったのではと思います。

さて今回なぜいきなり病名が診断されたのかと言うと高校の欠席が多すぎて診断書を出せとのことだったので診断書を申請してました。高2の時にも1回診断書を提出しておりその時には病名が診断されていなかったのですが今回病名が2つ書かれておりました。1つは確定、1つは疑いとの診断でした。

適応障害双極性障害でした。

適応障害はテレビでちょくちょく聴いたことがあるし父親が双極性障害のためどちらも驚きはしませんでした。むしろ今まで精神科に通ってるけど病名がない、私何に悩んでてなんで病んで苦しんでるんだろうと思っていたのですーっと気持ちが軽くなった気がします。Twitterで報告したところ同じ病気の人に共感してもらえたりして嬉しかったです。(まだ疑いなので決まった訳ではないのですが)まだ不安なことは沢山ありますが自分が今どういう状態なのかが把握出来たのでいい機会だったと思います。

 

 

短いですがこの辺でさよならです。

カフェインODを後悔したのにも関わらず2度目のODした高校3年生の秋

どもども社不系女子高生ふにゃさんです。

前回のブログの続きとかじゃないんで前回見てないよっていう人でも大丈夫だと思います。

さて中3のときカフェインODで無事大後悔時代人生の戒めとなったはずだったのですが今年なんならこないだ2度目のカフェインODしました。

 

 

1.今回は勢いだったよね

家庭環境のせいで大学に行けないことが決定した私は就活をしておりました。私の学校は偏差値低いくせして進学校を謳っているため95%の人は大学、短大、専門に進学致します。数少ない就職友達も続々内定を貰い始めた中1社目の面接で家族のことを聞かれパニックになった私は無事その企業から不採用の通知を頂きました。ネットで調べたら家族のことを聞くのはどうやらタブーっぽいのでむしろ落ちて安心しました。気持ちを切り替えて早速2社目を探そうと思ったのですが気持ちを切り替えられないのが私のいけないところ、気持ちが不安定なまま1週間経ちました。起立性低血圧も悪化し学校の休みも徐々に増えたところで親にそんなんじゃ社会人になれねえぞーと冗談半分のLINEが送られてきました。普段は冗談と捉えられる程度ですが当時の私にはその言葉が重すぎて気づいたら薬局に自転車を走らせカフェインを買っていました。前回4gで失敗したため今回はもっと多く飲もう!と思い3箱分、6.4g(64錠)のカフェインを買いました。

 

 

2.決行、2度目

深夜0時、64錠を一気に飲みまじで死ぬと思い込んでいたのでインスタの親しい人に黒背景に絵文字だけのメンヘラストーリーをあげ遺書もLINEメモに書いていました(なおその遺書は退院後全部削除しました恥ずかったんで)ずーっとYouTubeとか見ながらその時が来るのを待ったのですが友達からインスタのDMが来ました

無理すんなよ!

その一言を貰った瞬間死ぬのが怖くなりひたすらカフェインを体から出そうと吐きまくりました。死ねないのを悟り震えながら救急車を呼び母親を起こしました。母親にはメンヘラかよって怒られました。冷静に考えて娘が死にかけてんのにその反応はどうかと思いますまじで。

 

 

3.緊急搬送From ICU 1日目

前回の自殺未遂から精神科に通い続けていたのですがそこは受け入れてもらえず別の病院のICUに入りました。辛かったけど胃に炭も入れ点滴も3種類くらいしてました。救急の人にも看護師さんにも6.4gは危ないよと言われた記憶があります。ごめんなさい。ICUは私以外の人達がガチの危なそうな病気の人達ばっかだったしみんな忙しそうだったため尚更ごめんなさいって感じでした。動脈にずっと針を入れられ採血がいつでも採れるようになっていたのですがそれが1番痛くて辛かったです。泣いてました。ご飯はもちろん食べれず、気持ち悪いので口に指を突っ込んで無理やり吐いてました。胃液しか出てこないので食道はめちゃくちゃ痛いし、足の筋肉痛が酷くて歩けないし何故か両手がずっと痺れててまともに動かせませんでした。トイレはベッドの上でおけみたいなのにしてました。今自分は人間の底辺だなあって思いながらしてました。母親と妹が面会に来たのですが特に話すことも無かったのでジャニーズが載ってる雑誌とテレビカードを適当に買ってきてもらいました。看護師さんがジャニオタさんが多くジャニーズの話で盛り上がりました

 

 

4.緊急搬送From ICU 2日目

夜中は寝ようにも寝れずまた脳内妄想がぐるぐるしてました。(何を思ってたか一切覚えてないです)夜中からは筋肉痛も和らぎ歩けるようになったため看護師さん補助のもとトイレにも行けるようになりお水も飲んでいいよとの事だったのでめちゃ飲んだしトイレ行きました。点滴のおかげで吐き気は治まりました。朝ごはんは30分かけてプリンを食べました。あの時のプリンが人生で1番美味しかった気がします。点滴も終わり6.4g飲んだにしては2日で退院となかなか早く退院出来たのではと思います。

 

 

5.後日談

スマホ禁止だったため退院直後すぐ見てみたらLINEが58件も入っていました。めちゃくちゃ友達に心配かけたんだなぁって思って申し訳なくなったと同時に心配してくれる友達いるじゃんって嬉しくなりました。友達効果って絶大、みんなも友達5人くらいは作ろう。

 

 

2回目は量は増えましたが1回目よりは絶望感が少なかったです。この後の精神病棟入院編の方が辛くなるとはこの時思いもしませんでした。

この話もまた次の機会に。